フェンシング初の金メダフェンシング初の金メダルは13年間の地道な強化の結晶…担当記者が見たルは13年間の地道な強化の結晶…担当記者が見た
- スポーツ
- 2021年7月31日
◆東京五輪 フェンシング男子エペ団体 (30日、千葉・幕張メッセ)
男子エペ団体で見延和靖、山田優、加納虹輝、宇山賢の日本は決勝で、ROC(ロシア・オリンピック委員会)を45―36で下し、男女全6種目を通じて日本勢初の金メダルをつかんだ。2008年北京五輪男子フルーレ個人の太田雄貴(現・国際連盟副会長)、12年ロンドン大会同種目団体で獲得した銀メダルを上回る日本の最高成績を残し、フェンシング界の歴史を塗り替えた。日本選手団が獲得した金メダルは17個となり、過去最多だった1964年東京、04年アテネ五輪の16個を早々と超えた。
13年の地道な強化の結晶だ。08年北京五輪からウクライナ人のオレクサンドル・ゴルバチュク氏が日本代表コーチに就任。これまで日本はエペ団体で五輪出場がほとんどなかったが、選手に「サーシャ」の愛称で親しまれる同コーチは個性を生かした強化を推進してきた。
身長177センチながら両腕の長さは197センチの見延には、リーチを生かした相手の足先を突く技「足突き」を極めさせた。08年に当時中学2年でフルーレ選手だった山田を試合会場で見かけると「剣先をしならせる技術」に目をつけて「エペをやらない?」と勧誘。剣先をしならせ背中を突く「振り込み」という技を磨かせた。フルーレで目立った成績は出していなかったが、転向後6年の14年世界ジュニア・カデ選手権同種目で日本人初制覇。導かれるように世界トップ選手に成長した。
19年3月に年間10試合ほど行われるW杯ブエノスアイレス大会で日本勢の同種目団体初優勝。エペの先駆者の見延は同年に年間2戦のグランプリ(GP)で2勝し、日本人初の世界ランク1位に上り詰めた。山田も昨年3月のGPを初制覇し急成長。ダブルエースの台頭もあって世界と戦える「史上最強」の布陣をそろえた。
レジェンドの意志を引き継いだ。個人で6位に入った16年リオ五輪で見延は、五輪2大会で銀メダルの太田氏と同部屋だった。太田氏は個人1回戦で敗れ、引退の意向を示して部屋に戻ると真剣なまなざしで「後は頼む」。見延は「これまで引っ張ってくれた太田先輩の思いも背負ってやりたい」と悲願の金メダル獲得を胸に秘めてやってきた。
これまで日本といえばフルーレが主役だった。エペ代表の選手らは「“フェンシング=太田さん”のイメージを脱却しないと競技の知名度は上がらない」と考えた。「これからはエペの時代にしていきたい」と山田。レジェンドを超えて新たな歴史を書き換えた。(フェンシング担当・宮下 京香)
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