青森山田が監督交代で変わったこと、変わらなかったこと 高校サッカー
- スポーツ
- 2024年1月10日
全国高校サッカー選手権で8日に2大会ぶり4度目の優勝を果たした青森山田は、「常勝軍団」へと成長させた黒田剛(ごう)前監督(53)の下でコーチを務めていた正木昌宣(まさのり)監督(42)体制では初の頂点になった。指揮官の交代で何が受け継がれ、何が変わったのか。
黒田さんは1995年に就任し、2016、18、21年度に全国選手権で優勝。18~21年度は4大会連続で決勝に導いた。22年秋に退任して総監督となり、代わってバトンを託された正木監督は責任の重さを実感した。
「とんでもない記録や結果を出してきた前監督から引き継いだ。このような体験がある人は全国でもあまりいないので、誰かに相談することもなかった」
選手も動揺を隠しきれず、直後の22年度の全国選手権は8強止まり。黒田さんが総監督を退任し、名実共に新体制になった今年度も順風満帆とはいえなかった。23年夏の全国高校総体(インターハイ)は優勝した明秀日立(茨城)に3回戦で敗れ、主将のDF山本虎選手(3年)は「今年が本物の1年目で、正木さんも夏のインターハイの時期に焦っていると感じた部分はあった」と振り返る。
だが、すぐに立て直した。正木監督は「(黒田前)監督がいる時もいろいろなプレッシャーをかけられてきたので、それに比べれば伸び伸びできた部分もあった」と冗談めかして笑う。
正木監督は黒田さんと同じ札幌市出身。野球少年だったが、四日市中央工(三重)と帝京(東京)が激闘の末に引き分けて両校優勝した91年度大会の決勝を目の当たりにして、サッカーに転向した。中学時代にブラジル留学を経験し、高校は黒田さん率いる青森山田に進学。FWとして活躍し、主将も務めた。当時から指導者を志し、仙台大卒業後の04年、母校にコーチとして戻った。
近年は黒田さんから練習を任される場面も増え、新体制になったが「19年一緒にやってきたので、自然とやり方は染み付いている。大きくは変わっていないんじゃないか」と自身は考える。事実、今大会は5試合でわずか3失点。近江(滋賀)との決勝は相手シュートを2本に抑えるなど、黒田前監督体制と同様に堅実な守備をベースに、セットプレーやロングスローなどで得点につなげていた。
一方、山本選手は「攻撃のクオリティーが上がっていると思う。今年も個で打開できる選手が前にいるので、攻撃の部分は例年よりもこだわっている」とも分析する。MF杉本英誉選手(3年)やMF川原良介選手(3年)の両サイドハーフの突破力と、今大会で得点王の一人に輝いたFW米谷壮史選手(3年)の決定力を組み合わせ、リードした場面でも積極的に追加点を狙う姿勢が顕著だった。
正木監督は、Jリーグのユースチームも参戦するU18(18歳以下)年代の国内最高峰、高円宮杯U18プレミアリーグでの戦い方を念頭に置き、「プレミアリーグは守るだけでは勝てないので、『守りから攻撃』というのはやっていかないといけない。今年の子たちの良さを出せる一番の戦術を常に考えながら取り組んでいる」と語る。今年度は同リーグでも頂点に立った。
選手とのコミュニケーション面について、DF小泉佳絃(かいと)選手(3年)は「選手個人にアドバイスをくれるので、自分もダメだと思うところは正木監督に聞いて直している。選手と良い意味で距離が近い」と信頼を口にする。
Jリーグの監督に転身し、1年目でJ1昇格に導いた黒田さんについて正木監督は「(黒田)監督は負けず嫌いで有名だったが、自分もかなり負けず嫌い。そういう意味では一番刺激をもらえる存在」と語る。「教え子から、世界で、ワールドカップ(W杯)で活躍する選手を出していきたい」と目標を語った。
毎日新聞より転用
コメントする