13年前の体罰、記録残らず 関与教師、同じ小学校の校長赴任し発覚
栃木市内の小学校で2012年、教師による行き過ぎた指導を学校側が把握しながら市教育委員会に報告していなかったことが関係者への取材で分かった。この教師が今春、校長として同小に赴任したことから、保護者が改めて市教委に調査を求め発覚した。市教委は「当時の記録がない。処分権者の県教委と情報を共有し対応する」としている。
頭たたき、横腹蹴る
保護者によると、問題が起きたのは現在24歳の長男が6年生だった11年度。教室内での同級生とのトラブルをとがめた担任の男性教師が長男の襟首をつかみ、突き飛ばしながら2学級分ほど離れた教材室に連れ込み、扉を閉めた後、顔を平手打ちし、頭をたたき、横腹を蹴った。教師は「手を出すなよ」と言いながら暴行を続けたという。
帰宅した長男は家族に体罰について話さず、出血痕やアザが見当たらなかったため、家族も気付かなかった。その後も通常通り登校していたが、睡眠中に叫んだり、走り出したり、家族にも分かる変化が表れた。中学進学後の12年の夏休み前、教師による体罰を扱ったテレビ番組を視聴中、家族に感想を尋ね、母が「傷害事件だと思う」と答えたところ、事案を初めて打ち明けたという。
このため、保護者はすぐに小学校に相談。教師は異動していたが、同年8月下旬に当時の校長とこの教師、両親の4人が学校内で面談し、教師は暴行を認め、謝罪した。保護者は再発防止のための具体策を提示するよう求めたが、その後、学校側からの連絡はなく、市教委に照会しても取り合ってもらえなかったという。
長男は球技系の部活動に打ち込み、睡眠中の異変も収まった。部活動は大学まで続け、卒業後は県外で働いている。保護者も事案を胸に納めていたが、今年3月、この教師の異動を知り、人事評価への疑問が膨らんだ。母親は「親として何もできず、子どもを助けられなかった後悔をずっと抱えてきた。それなのに、当事者がまるで何事もなかったかのように昇進し、あろうことか問題を起こした学校に校長として戻るなんて見過ごせなかった」と話す。
当時の記録、市教委に残らず
保護者は知り合いの市議を介して市教委幹部と面談するなどした結果、小学校時代の体罰、教師が体罰を認め謝罪した12年8月の面会経過、保護者から市教委への照会などこの件を巡る記録が一切、市教委に残っていないことが分かった。教師の謝罪に立ち会い、市教委への報告義務を負っていたはずの当時の校長はすでに亡くなっていた。
保護者からの訴えを受けた市教委は今年6月17日、保護者と当事者の教師(現校長)を交えた会合をこの小学校で開き、青木千津子教育長、学校教育課長らも同席した。保護者によると、12年前に確認した体罰の内容と謝罪までの経緯について改めて説明したのに対し、教師は体罰について「手が出てしまった」と認めたものの、殴る蹴るの暴行など具体的な内容については「記憶がない」を繰り返したという。一方で、現場の教材室には連れ込んだのではなく「呼び出した」と説明、保護者に謝罪したことも記憶しているという。
これまでのところ、教師は「市教委に対応を一任している」と取材に応じていない。市教委は、6月の会合の内容や教師側の主張について明らかにしていないが、「保護者の説明とずれが生じている」と教師が体罰を否認していることを示唆し、「元児童本人からも核心的な部分を聞きたい」としている。
母親は「中学時代も『もう思い出さなくていい?』と話したがらなかった。長い時間をかけ、何とか心の傷が癒えた子どもを矢面に立たせたくない」と話す。長男は取材に対し「事実関係は母に話した通り。自分自身は改めて追及したいとまでは思っていなかったが、もし将来、僕の子があんな目にあったらと考えると、許せないと思う母の気持ちは分かる」と答えた。
体罰など教員の非違行為があった場合、通常、校長が調査し、市教委に報告。さらに市教委が県教委に報告書を提出し、県教委が処分を決める。文部科学省は13年3月の通知で体罰を把握した場合について「教育委員会へ報告することが必要」とし、対応を求めている。それ以前からも「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)で報告や意見具申が求められ、県の教職員の処分基準でも報告義務違反や隠蔽(いんぺい)は懲戒の理由に挙げられている。
市教委には地教行法に基づく報告文書、相談票など保護者からの通報記録は残っていないという。市教委は「当時の担当部署の職員にも聞いたが分からなかった。記録はないとしか言えない」としている。【太田穣】
毎日新聞より転用
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