夫の教え子と恋に落ち、3歳の娘残し家を出た瀬戸内さん…僧侶の後半生は新たな境地に
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- 2021年11月12日
聴衆に語りかける瀬戸内寂聴さん(2015年10月、岩手県二戸市の天台寺で)
激しく愛し、生きた――。作品に描いた女性たち同様、情熱のままに生きた瀬戸内寂聴さんが9日、99歳で亡くなった。作家、僧侶の枠にとどまらぬエネルギッシュな活動と発信力で、最晩年まで現役として活躍していたが、10月中旬から体調を崩して入院していたという。
原点にあったのは戦争体験だった。終戦を迎えたのは中国・北京。夫と故郷の徳島に引き揚げて初めて、母親が防空壕(ごう)の中で焼け死んだと知った。
悲しみと敗戦国の惨めさを味わう一方、日本は民主国家に生まれ変わり、「書きたかった小説を書いて、新しく生き直したい」との思いがわき起こる。学者だった夫の教え子と恋に落ち、「小説家になります」と告げて家を出た時、残した娘はまだ3歳。後に「戦争がなかったら、夫以外の人を好きになることも、娘を捨てることもなかった」と語った。
51歳、すでに売れっ子作家だった時の突然の出家は、公私ともに行き詰まった末の行動だった。「良い小説を書くため、文学の背骨になる思想が必要」というのが理由だ。「寂聴」の名を授けたのは、大僧正だった作家の今東光(こんとうこう)。「森羅万象から出る音を、心をしずめて聴く」という意味の「出離者は寂(じゃく)なるか梵音(ぼんのん)を聴く」の言葉にちなんだという。
僧侶としての後半生は新たな境地に入る。京都・嵯峨野の自坊「寂庵(じゃくあん)」で続けた法話や写経の会では、様々な人の思いに耳を傾け、励ました。連合赤軍事件の永田洋子元死刑囚、大麻事件で逮捕された俳優の萩原健一との交流なども話題になった。
昨年2月以降、寂庵での法話の会はコロナ禍で中止。外出の機会は減ったものの、新聞や文芸誌の連載を続け、最近も秘書のインスタグラムでは、秘書の子供と一緒に遊ぶ写真などが公開されていた。
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