中国政府が濫用、「内政干渉」がはらむ深刻な問題 議論を封じ込め、国際社会との対話も回避
- 国際
- 2021年9月15日
最近、国際関係の世界でよく「内政干渉」という言葉を耳にする。中国を筆頭に他国から国内問題について批判されると、「そんな指摘は内政干渉であり、受け入れられない」と応じ、自分たちのやっていることを正当化する。実に便利な言葉のようだ。
典型的なケースは人権問題だ。ある国で反政府運動の弾圧や少数民族の迫害などが表面化し、国連や国際社会から「人権問題だ」と批判されたときに「内政干渉だ」と言い返す。指摘された問題について詳細な事実関係の説明など一切しないで、議論を封じ込めてしまおうというわけだ。
この言葉を最近、最も頻繁に使っているのは言うまでもなく中国だ。2021年に入り、アメリカのブリンケン国務長官らがウイグルの人権問題や香港の民主化運動の弾圧などを批判すると、間髪を入れず「内政干渉だ」と言い返す。しかし、それ以上の説明をすることはない。
サミット首脳宣言に激しく反発
6月のG7サミットの首脳宣言には、ウイグルや香港の人権問題に加えて台湾についても「平和的解決を促す」などという文言が盛り込まれた。すると、中国は直ちに在英大使館報道官が、「事実をねじ曲げ、中国を故意に中傷しており、ひどい内政干渉だ。国際関係の基本ルールに対する重大な違反で、アメリカなど少数の国の陰険な下心を露呈している」などと激しく反発した。
国際法の世界には「内政不干渉の原則」がある。他国が別の国に対して、戦争には至らないが、さまざまな強制的な手段を使って圧力をかけてその国の内政に介入することを禁じる概念である。国際社会は独立した主権を持つ国家から成り立っており、それぞれは対等であり、ある国が他国を自分の言いなりにすることはできないという発想から生まれた考えだ。
そして、内政不干渉の原則に反する行為が内政干渉であり、どうやら中国などは「内政干渉だ」と反発すれば、自分たちの立場を正当化できると考えているようだ。
しかし、内政不干渉の原則は本来、都合の悪いことを隠すために作られた言葉ではない。
第2次世界大戦後は、西欧列強の植民地支配から多くの国が解放されたことで、民族自決や平和共存とともに内政不干渉の原則が新興国の独立運動を支えるという歴史的役割も果たした。
そして、1970年の国連総会では、いずれの国も「他国の国内問題または対外問題に干渉する権利を有しない。武力干渉、介入、威嚇は国際法違反である」という決議が採択されており、内政不干渉の原則は広く国際社会で当然のことと認められた。
具体的には、特定の国の政権交代をもくろんで反政府勢力への軍事的、経済的支援などを行うことなどが想定されていた。つまり、内政不干渉は主権国家の自立性を尊重し、ある国が別の国を力で抑え込んで自分たちの都合のいいようにさせることが違法であるという考えだ。
人権問題への介入は内政干渉ではない
同時に戦後、国際社会での人権問題に対する関心の高まりが内政不干渉の概念に大きな影響を与えた。かつては特定の国の人権問題に介入することは内政干渉になるという主張もあったが、南アフリカの人種差別問題やパレスチナ問題など深刻な人権問題を前に、国連などがこうした問題の解決に関与することは当然であるという考えが次第に広まっていった。
そして、1993年、オーストリアのウィーンで開かれた世界人権会議で「すべての人権の促進、保護は国際社会の正当な関心事項である」という宣言が採択されたことで、人権問題への関与は内政干渉にはならないという考えが定着していった。
しかし、内政干渉という言葉は近年、こうした本来の考え方に基づいた使われ方がほとんどされていない。
2014年のロシアのクリミア半島の併合について、欧米諸国が「国際平和と安全保障への脅威であり、国際法違反だ」などと激しく非難し、制裁を課すと、ロシアは内政干渉だと反発し、中国は内政不干渉を理由に事実上、ロシアを支持した。
2020年のベラルーシの大統領選の不正疑惑やルカシェンコ大統領による批判勢力の弾圧に対し、欧米諸国が制裁を発動すると、ベラルーシだけでなく、ロシアや中国もそろって内政干渉だと反発している。
こうしてみると中国やロシアばかりが目立つが、核開発を進めているイランが制裁を続けるアメリカに対し、「内政干渉をやめるべきだ」と主張するなど、世界中でこの便利な言葉が濫用されている。
日本も例外ではなく、小泉首相の靖国神社参拝を中国や韓国が批判すると、やはり「内政干渉だ」という反発が出た。
つまり本来の建設的な意味での内政不干渉の原則は脇に置かれ、都合の悪いことを正当化する手段としてこの言葉が広く使われているのである。しかし、やはり一番目立つのが中国である。そしてその使い方にはいくつかのパターンがある。
内政干渉という自己防衛策
まず自分たちの立場を守るための受動的な使い方である。中国は経済面では西側の市場経済を取り入れているが、政治は共産党一党支配という民主主義とはかけ離れたシステムとなっている。その結果、選挙制度や人権問題など多くの面で国際社会のルールや価値観とは大きくかけ離れている。
したがって欧米諸国がウイグルの人権問題や香港の民主化運動の弾圧などを非難すると、事実関係を説明して反論することができず、内政干渉という言葉を持ち出して自己防衛するしかない。
これは習近平国家主席になって始まったことではなく、1990年代に江沢民国家主席も「人権問題は本質的に各国の主権の範囲の問題で、各国がそれぞれ違う観点を持っている。人権の名を借りて他国に内政干渉をしてはならない」と述べている。欧米からの批判に対し、説明をして理解を得ることができない以上、内政干渉だとはねつけるしか方法がないのである。
次が発展途上国などを相手に外交空間を広げるための積極的な使い方だ。一帯一路政策が典型的だが、中国は潤沢な資金と労働力を武器にアジアや東欧、アフリカなどの発展途上国に活発な融資を進め、影響力を増している。
欧米諸国の経済援助は人権問題をクリアするなど厳格な基準が設けられているが、中国は相手国が独裁国家であろうが人権問題があろうが関係なく資金提供しており、途上国側からするとありがたい存在となっている。
その際、持ち出されるのが内政不干渉の原則だ。つまり中国は相手国の政権がどういう政策をやっていようが問題にしないで資金提供するというのである。
これも習近平主席になってからのことではなく、2000年代初めに温家宝首相は、アフリカ諸国の人権問題について聞かれ、「各国とは相互尊重と内政不干渉の原則を守る」と答えている。まことに都合のいい使い方であり、相手国の問題に目をつむったまま自国の影響力を拡大するという積極的な使い方である。
3つ目が領土問題などに関するかたくなな対応をするときの道具としての内政干渉である。2021年5月、日本が台湾にワクチン供給したことに対し、中国が「コロナ対策を政治ショーに利用して中国に内政干渉することは断固反対する」と批判したように、中国は自分たちの主権が及ぶとする地域に外国が関与してくると、間違いなく内政干渉を持ち出してくる。
国際社会と対話する気のない中国
東シナ海の尖閣諸島への中国の公船の領海侵犯も、海底ガス田の開発も、さらには南シナ海のサンゴ礁の埋め立てと軍事基地建設などもすべて中国は自分たちの当然の権利であり、他国にとやかく言われることはすべて内政干渉であって認めることはできないとしている。
これらの姿勢に共通しているのは、中国には国際社会とまともな対話をする気がないということだ。習近平主席は7月の中国共産党創立100周年記念式典の演説で、「中華民族には5000年の歴史で形成した輝かしい文明がある。師匠のような偉そうな説教は絶対に受け入れない」と、アメリカなどが人権問題に口を出してくることに強く反発した。
こうした対応は、中国が国際社会の批判を気にしていないのではなく、逆に外国から国内の問題点を指摘されてそれを認めれば、共産党が誤りを犯したことを認めることになり、一党支配の正統性を傷つけることになるからだろう。党支配を揺るがすようなことは習近平主席ら党中枢が決して認めるものではない。ゆえにかたくなな態度を取らざるをえないのである。
しかし、自分たちの主張は絶対に間違っていないから、話し合う必要はまったくないという姿勢では外交など成り立ちようもない。
内政干渉という言葉を振りかざすだけで、他国の主張に聞く耳を持たない。対話をする気がない。自分たちの正当性しか主張しないというかたくなな中国外交の姿勢によって、中国とはまともな会話ができないという空気が国際社会に広がっている。
その行き着く先は、中国の外交空間の縮小であり、中国の孤立化であり、世界の分断である。もちろんそんなことをわかったうえでやっているであろうから、中国とはやっかいな国である。
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