日本のベイブレードがイスラエルで大人気となった意外な理由
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- 2021年4月22日
1999年に登場して以来、爆発的に流行した対戦用コマ「ベイブレード」。アメリカでは世界大会も開催され、2021年時点でも新製品が販売されている。筆者が暮らすイスラエルでもベイブレードを知らない人はいないほど人気がある。以前にも市内のマクドナルドに立ち寄った際に、ハッピーセットのおまけがベイブレードだと知って大変驚いた覚えがある。実は、ユダヤ人とコマは2100年以上の深いつながりがあることはあまり知られていない。今回はそんなベイブレード人気と、イスラエルとコマの切っても切り離せない関係について、解説したい。(イスラエル国立ヘブライ大学大学院・総合商社休職中社員 徳永勇樹)
イスラエルにおける
ベイブレード
イスラエルでのベイブレードブームを生み出したのはアニメだ。2002年にイスラエルのテレビ局で放送されるや否や瞬く間に子どもの間で大人気に。筆者の友人のイスラエル人は、ベイブレードをきっかけに日本の文化に興味を持ったという。
彼はベイブレードの魅力についてこのように語る。
「ベイブレードには本当に熱中していたよ。僕が小学生だった頃、公園の円形の水飲み場をスタジアムに見立てて日が暮れるまで遊んでいたよ」
日本ではプラスチック製のドームの中でベイブレードを戦わせるのが一般的だったが、イスラエルでは値段が高く、親にも買ってもらえなかったという。そこで、公園の水飲み場の台で同級生と遊んだのを懐かしそうに思い出していた。
ベーゴマという日本の古いおもちゃが、遠く離れたイスラエルでベイブレードに進化して子どもたちを魅了する。しかし、ベイブレードの流行よりも昔、なんと日本人がコマの存在を知る数百年以上前にユダヤ人は既にコマを使っていたのをご存じだったろうか?
コマとユダヤ人
つながりはなんと紀元前165年
コマとユダヤ人のつながりはなんと紀元前165年、今から2100年以上前にさかのぼる。当時、セレウコス朝(ギリシャ)に征服されたユダヤ人たちは聖書の勉強を一切禁じられてしまう。しかし、信仰心を捨てられなかった人たちは洞窟の中で隠れて聖書を勉強していた。そこにギリシャ兵が通りがかったが、機転を利かせたユダヤ人たちは、聖書を岩の下に隠してあらかじめ用意していたコマを取り出して遊び、難を逃れたという。
その後、ヨーロッパに渡ったユダヤ人たちが4面のコマをサイコロの代用として使い始める。コマのそれぞれの面には「Nun, Gimel, Hei, Shin」の4つの文字が描かれている。
それぞれの文字は、ネス・ガドール・ハヤ・シャム(「そこで偉大な奇跡が起こった」)頭文字を取る(※筆者注:ヘブライ語は右から読む)。コマを回して出た文字ごとに割り当てられた数のコインチョコレートを受け取ることができるというのがルールだ。
ギリシャからの解放を祝うユダヤ教の冬のお祭りであるハヌカでは、ユダヤ人たちはコマを回して遊ぶ。まさに、ユダヤ教の信仰を守るシンボルになったのだ。
既にコマの文化がユダヤ人に定着していた事実は、冒頭紹介したベイブレードの流行にも影響を及ぼした。
イスラエルでベイブレードのアニメが放送された際には、宣伝CMにハヌカの祭りで歌うコマの歌がバックで流れたという。その年の放送がちょうどハヌカの祭りの季節に重なったこともあり、子どもたちのプレゼント用にベイブレードを買おうとおもちゃ屋の列に並ぶ親たちが絶えなかったという。
日本文化とユダヤ文化の融合
日本の技術でコマ作り
日本でも新たな取り組みが始まった。それは、日本のコマの製造技術でイスラエルのコマを作ろうという動きである。
名乗りを挙げたのは、京都で100年近く続く「京こま」専門店雀休の中村佳之氏だ。
日本のコマは古墳時代に中国より伝来したのを起源とし、京こまは安土桃山時代に宮中の遊びとして残ったものといわれる。
女官が着物の端切れを竹の棒を芯にして巻き付け、コマ状にして室内で回して遊んでいたそうだ。最近までは京都のお座敷遊びでは欠かせない工芸品として独自の地位を築いてきた。
しかし、日本人がコマを使わなくなって久しい現在、京こまの専門店は日本に雀休1軒しか存在しない。地元の京野菜、象嵌(ぞうがん)技術、百人一首とのコラボなど、これまでのコマの形にとらわれない新しい商品を開発してきた中村さんが次に選んだのは「イスラエルコマ」だった。
中村氏が作ったのは伝統的な4面タイプのものに加えて、ハヌカのお祭りで使われる油差し、ドーナッツ、コイン、ロウソク立ての5個セット。国内では雀休のお店で購入可能だが、日本在住のユダヤ人を中心によく売れるそうだ。
実際に購入したイスラエル人は「イスラエルで出回っているコマとは比較にならないくらい、細工が細かくて手作りならではの温かさを感じられる。ハヌカの祭りに自分の子どもにプレゼントするために買ったけど、やっぱり自分で使うことにしたよ」と顔をほころばせていた。
中村氏は「イスラエルがまさかこれほどまでにコマに縁のある国だとは思いませんでした。コロナが明けたらぜひイスラエルに出張に行ってみたいと思っています」と今後の思いを語った。
日本の伝統文化の行方
イスラエルコマは「文化の結婚」成功例
伝統的工芸産業振興協会の発表によれば、1979年の時点で従事者数は28万8000人、生産額は5400億円だったのが、2016年には従事者数は6万2690人、生産額は960億円、と大きく落ち込んでいる。
京コマのみならず、他にも存続の危機にひんしている伝統工芸技術は多数ある。その一方で、海外に目を向けると日本製製品はいまだ強いブランド力を発揮している。特に、伝統を大事にするイスラエルでは、同じく長い歴史を持つ日本の工芸品に対する信頼がとても厚い。
イスラエルではコマをモチーフにしたデザインに触れる機会は多い。中には、金やダイヤモンドを散りばめた7万ドル(約727万円に相当)のコマが販売されるなど、ユダヤ人にとってコマは日本人以上になじみのあるものなのだ。
イスラエルコマは、そうした隠れた需要をきっかけに「文化の結婚」を実現した成功例とも言える。
国内で需要が見込めない今、日本の伝統産業の活路は海外にあるのかもしれない。そして、その牽引役として、ベイブレードをはじめとする日本のソフトパワー力に期待が持たれる。
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