ホークス一筋16年、江川智晃氏が退団し家業の道へ 異色の転身で畜産業も「豚のフン取りから」
- スポーツ
- 2020年12月29日
福岡ソフトバンク一筋で昨季まで15年プレーし、今季はスコアラーを務めた江川智晃氏(34)が、今季限りで退団した理由を明かした。故郷の三重県で家業の漁網などの製造販売業と、母が携わる養豚業を継ぐためで、福岡ダイエー最後となった2004年秋のドラフト会議で1位指名されたナイスガイは「豚の気持ちも理解できるようになりたい」と決意表明。地元で第二の人生に乗り出す。
三重・宇治山田商高から入団2年目の2006年に西武松坂からプロ初安打を放ち、13年に自己最多の12本塁打も定位置確保には至らなかった。「(他の選手との)代わりがきく保険のような存在だった」と振り返る15年の現役生活を終え、20年にスコアラーとして再出発。人生の転機となったのがコロナ禍だった。
開幕が3カ月遅れの6月にずれ込み、スコアラー活動も大きく制限された。その間、三重県伊勢市の実家の家族と連絡を取り合ううちに、家業の現状に触れた。引退後も裏方の道を示してくれた球団に恩義を感じつつ「今、家族に必要とされている」と心を決めた。
伊勢市は養殖業が盛んな伊勢湾に面し、祖父辰巳さんが創業した「江川ビニール工業」は漁網の製造販売などを手掛ける。ティー打撃用のネットを作ってもらったこともある家業は「継がなくてもいい」と言われていたが、「帰る」と伝えると両親は喜んだ。
母幸枝さんは養豚場「一志ピックファーム」(同県津市)の経営にも携わっており、多忙な業務と車で片道1時間半かかる通勤が心配の種でもあった。養豚業と関連して精肉店の事業展開計画もあり、母の仕事が増える可能性があることも決断を後押しした。
決断後に出会った経営者の言葉を胸に刻む。「社員は家族。従業員さんの気持ちも分からないと、みんなついてきてくれない」。江川氏も「朝にチームメートを見ると『調子悪いな』とか分かるんです。けっこう合ってるし、その能力はあるかな」と笑顔で語る。
スコアラーとして、データを選手に提供した際にさりげなく「ありがとう」と言われたことがうれしかった。元ドラフト1位はチームスタッフの経験も糧に「豚のふん取りからやる」と決めている。さらに「豚の気持ちも理解できるようになりたい」と語る。
ひそかな目標がある。「近ごろは後輩の柳田や(ロッテ福田)秀平たちが『もう現役を上がったんだからいいですよ』と食事代を出してくれるようになったんです。でも、しっかり事業を頑張って、また飯をおごりたい」。ちょっとした意地も、原動力の一つになってくれそうだ。 (鎌田真一郎)
西日本スポーツより転用
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