小澤征爾さん死去 88歳、指揮界の頂点に上り詰めた「世界のオザワ」
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- 2024年2月10日
ウィーン国立歌劇場やボストン交響楽団などの音楽監督を務め、戦後日本のクラシック界をけん引した世界的指揮者の小澤征爾さんが6日、心不全のため亡くなった。88歳。葬儀は近親者で営んだ。お別れの会を後日、開くことを検討している。
旧満州・奉天(現中国東北部・瀋陽)生まれ。成城学園中学卒業後、指揮者の斎藤秀雄に学び、1958年、桐朋学園短大指揮科を卒業。59年、仏ブザンソン国際指揮者コンクールで1位、60年にはカラヤン指揮者コンクールで優勝し、カラヤン、ミュンシュなどの世界的指揮者に師事した。61年に米国の指揮者で作曲家のバーンスタインに招かれ、ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任し、一躍脚光を浴びた。
一方、日本ではNHK交響楽団が指揮にボイコットを起こすなど、すぐには受け入れられなかった。トロント交響楽団、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務めた後、73年にボストン交響楽団の音楽監督になり「世界のオザワ」として、米国はもとより欧州でも絶大な人気を得て、世界レーベルでLP、CDを次々に録音。72年には新日本フィルを立ち上げ、日本にも足場を作って財界からも支援が相次いだ。
92年には国際音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)」を長野県松本市に創設。オペラに乗り出し、2002年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任し、世界の指揮界の頂点に上り詰めた。
また、毎日新聞社が主催する難病の子どもたちのためのコンサート「生きる」に出演するなど、チャリティー活動にも力を入れた。
01年度に文化功労者。03年度にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本でのオペラ公演で毎日芸術賞を受賞。08年度には文化勲章を受章した。その他、日本芸術院賞、朝日賞、サントリー音楽賞など受賞多数。
10年に食道がんの手術を受けたがその後、指揮活動に復帰。18年春、大動脈弁狭窄(きょうさく)症の手術を受けた。昨年9月にはセイジ・オザワ松本フェスティバルの公演で、車イスに乗って舞台に登場した。
妻は元モデルの入江美樹さん、長男の征悦さんは俳優、長女の征良さんはエッセイスト。今年1月に死去したピアニストの江戸京子さんは元妻。
毎日新聞より転用
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