横田早紀江さん「解決できず終わるのか」 めぐみさん拉致45年
- 政治・経済
- 2022年11月15日
© 毎日新聞 提供 記者会見で、解決への糸口が見えないことに「むなしい」との言葉を繰り返した横田早紀江さん=川崎市内で2022年11月8日午後(代表撮影)
1977年11月に横田めぐみさん(行方不明時13歳)が北朝鮮に拉致されてから、15日で45年となる。「むなしいですね」。母早紀江さん(86)は8日に川崎市内で開いた記者会見で何度も繰り返した。解決への道筋が見えない現状に焦燥感を募らせる。
早紀江さんは現在の心境について問われると「表現のしようがない。なんで生きているんだろうと。解決ができないままで終わってしまうのかなと考える」と話し、政府に早期の行動を求めた。
絶望の淵で出合った信仰と絵画が心の支えだったといい、めぐみさん拉致後に描いた新潟の港の様子や、聖書などをモチーフにした油彩画も紹介した。
めぐみさんは77年11月15日午後6時半過ぎ、新潟市内の中学校から下校後に行方が分からなくなった。政府は97年に北朝鮮に拉致されたと認定した。
「拉致、私だったかも」同級生の祈り
「もしかしたら拉致されたのは私だったのかもしれない」。77年当時、新潟市内のめぐみさん宅近くに住んでいた辻元滋子さん(61)は不審な男に後をつけられた記憶がある。めぐみさんが拉致された日と同じ11月15日夕のことだ。
高校からの帰宅途中、バス停近くに見知らぬ男がいた。普段、その付近で出会う人は顔見知りばかりだったため、余計目立った。なぜついてくるか分からなかった。振り向いて顔や背格好を確かめたかどうかも覚えていない。ただ、「灰色っぽい運動靴だった気がする」。急ぎ足で帰り母に告げた。「気持ち悪かった」「大変だったね」。そんな会話を交わした。
後に、めぐみさんが同じ日の午後6時半過ぎに行方が分からなくなったと判明する。めぐみさんが拉致被害者だと政府が認めると、新潟県警の捜査員が改めて辻元さんを訪れた。
しかし、発生から20年が過ぎ、すでに記憶はあいまいになっていた。辻元さんの体験を知る新潟県警の元捜査員は「発生から時間がたっていることもあり、めぐみさんの拉致と関連するかどうか結論は出せなかった」と話す。
辻元さんの母親は岡田恭子さん(故人)。めぐみさん拉致からほどなく、悲嘆していた早紀江さんに聖書を渡した。それがきっかけとなり、早紀江さんは教会に通い始め、後に洗礼も受けた。
岡田さんは晩年まで拉致関連のニュースをよく見ていたという。2019年に亡くなる前には、めぐみさんの双子の弟が各地で講演する様子を見て、「新潟市に住んでいた時はすごく幼かったのに、立派になったね」というはがきを早紀江さんに送っていた。
「母はずっとめぐみさんを気にかけていた様子だった。解決を待ち望んでいたはずで、自分も同じ気持ちだ」と辻元さん。めぐみさんの帰国を、天国の母とともに祈り続ける。【斎藤文太郎】
毎日新聞より転用
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