ベテラン記者コラム 石井慧「屁のツッパリ」から14年〝斉藤先生〟愛息が最重量級の星に
- スポーツ
- 2022年5月31日
父の偉大さを改めて知った。4月に行われた体重無差別で争う柔道の全日本選手権で、20歳1カ月の斉藤立が史上3番目の若さで初優勝した。準決勝で東京五輪100キロ超級代表の原沢久喜を破ると、決勝では昨年の世界王者・影浦心に競り勝ち、2強を倒して堂々の日本一に輝いた。
「何が何でも負けられないし、死んでも勝ちたいという気持ちだった」
1984年ロサンゼルス、88年ソウル両五輪の95キロ超級で2連覇し、2015年に54歳で亡くなった父・仁氏も88年の全日本を制しており、史上初めて親子2代での頂点となった。191センチ、160キロと日本人離れした体格を備え、豪快な大外刈りが持ち味だ。死闘となった決勝は14分過ぎに足車で技ありを奪い決着をつけた。影浦を全日本選抜体重別選手権に続いて破った点などが評価され、10月の世界選手権(タシケント)100キロ超級代表の座をつかんだ。
ロサンゼルス五輪無差別級覇者で全日本9連覇を果たし、現在は全日本柔道連盟会長の山下泰裕氏に阻まれ、仁氏は27歳で全日本王者になるより先に五輪金メダリストの称号を手にした。その点を踏まえ「エベレストには登ったが、まだ富士山には登っていない」と名言を生んだ。「自分はまだ全盛期じゃない。これからの選手」と自己分析する斉藤家の次男は、「しっかりパリにピークを持っていけるようにしたい」と2年後のパリ五輪を見据え、最重量級を背負う覚悟を示した。
日本勢は2012年ロンドンから3大会連続で五輪100キロ超級の栄冠を逃している。08年北京でセンタポールに日の丸を掲げた石井慧は、勝敗を決めるブザーが鳴り響いた瞬間、両手の拳を振り上げ涙で顔をくしゃくしゃにして天を仰いだ。同五輪の日本男子はそれまで66キロ級の内柴正人の「金」以外、メダルはなく成績が振るわなかった。中学1年時の文集に「将来の夢はオリンピックでの金メダル」とつづっていた若手が、最後にお家芸のメンツを保った。
その一方で日本男子監督を務めた仁氏の名を持ち出し、「(五輪の重圧は)斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁のツッパリにもなりません」との〝迷言〟を残した。21歳で年齢的にも五輪連覇の可能性を秘めていたが、何の前触れもなく畳の上を去り、プロ格闘家に転向した。
石井の110キロの巨体が躍動した、北京の夏から14年。将来性抜群の立は最重量級の救世主となりうる存在だ。仁氏と一時代を築いた山下氏も「これをきっかけにパリに向け大きく羽ばたいてほしい」と期待を込めた。亡き父から仕込まれた体の大きさに頼らないスタイルを貫き、花の都を目指す。(江坂勇始)
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