「オレ、パンチないのかな」8回TKOの完勝でも井上尚弥の自己評価は“期待以下” 無名挑戦者との防衛戦が長引いた要因とは
- スポーツ
- 2021年12月16日
バンタム級のWBAスーパー王座とIBF王座を保持する井上尚弥(大橋)が14日、両国国技館でWBA10位、IBF5位にランクされる挑戦者アラン・ディパエン(タイ)に8回2分34秒でTKO勝ちした。あまりに大きな試合前の期待と、圧倒的に優勢な展開から、「8ラウンドもかかった」との見方もあった同試合の内容を紐解いてみたい。
「あれが一番怖い」井上が戦前に語っていた懸念
井上の圧倒的優位が伝えられ、来春にも実現しそうなWBC王者ノニト・ドネア(フィリピン)や、WBO王者(※注)ジョンリール・カシメロ(フィリピン)との統一戦の話題ばかりが先行する中での防衛戦。足元をすくわれたり、大苦戦を強いられたりするのはこういう時なのだが、井上に限ってそれはないと感じていた。
(注:カシメロは12月11日の防衛戦を直前でキャンセルし、タイトル剥奪の可能性が取り沙汰されている)
井上につけ入るスキはない。そうあらためて感じさせたのは、井上が試合直前に所属ジムを通じて発したコメントだった。
「ディパエンのどこに気をつけるかというよりも、自分自身に気をつけないといけない」
この発言の背景には、現地時間11月27日にニューヨークで行われたライト級統一王者のテオフィモ・ロペス(米)の試合があった。優位が伝えられたロペスは、格下とみられたジョージ・カンボソス(オーストラリア)を相手に、初回からKOを狙ってブンブン振り回した挙げ句に小差判定負け。自らをコントロールできず、墓穴を掘っての自滅だった。
「ロペスは自分自身が分かっていないというか、過信しすぎていた。あれが一番怖いですね」
ロペスを反面教師としてディパエン戦に臨んだ井上。その意識通り、立ち上がりは実に慎重だった。いつも通り無理には攻めず、ジャブを突きながら相手の情報をできるだけ収集しようとした。ディパエンが前に出るとスッとバックステップ。上半身の姿勢が微塵も変わらない美しい動きだ。理想的な立ち上がりのように見えながら、意外にも井上は手応えを感じていたわけではなかった。試合後にこんなことを明かした。
「見切るためにしっかり見てましたけど、タイのボクサーの独特のリズム、間合いを読み取りづらいというのはありました」
相手の動きを完全に読み切れないまま、2回に井上はペースアップする。ジャブをビシビシと打ち込んで、ディパエンを早くも下がらせ、ノックアウトへの期待をたちまち高めた。同時に早くも圧倒されてしまったディパエンの体内で緊急警報が発令される。挑戦者はとにもかくにも防御を優先させることになったのである。
力の差がある程度あったとしても、それなりのレベルの選手が防御を最優先してしまったら、それを崩し、倒し切るのはなかなか難しい。井上はそのことをよく知っていた。「勝って当たり前」の試合を何度も経験してきた。直前のロペス敗北から学び、ボクシングを雑にしない心の準備もできていた。
にもかかわらず、わずかに力んだ。わずかに前のめりになった。圧倒するのが早すぎた。その理由は初回の「ちょっと読み切れない」という感触にあったのか、心の奥底にしまった「2年ぶりの日本国内の試合でインパクトのある試合を見せたい」という欲にあったのか……。いずれにしても「わずかな狂い」がノックアウトまでの道のりを長くさせた要因である、というのが私の推論だ。
挑戦者のタフさに「判定が頭をよぎった」
井上は違和感を抱きながらも「この試合のために磨いてきた」というジャブをビシビシと打ち込み、右にもつなげて挑戦者を追い込んでいった。ディパエンは下がりながら懸命にブロッキングして決定打を許さない。井上は途中から攻撃の軸をボディにシフトする。ボディ打ちを研究してきたディパエンは絶妙にダメージを殺し、表情ひとつ変えずにサバイブを続ける。
井上はパンチに強弱をつけたり、ロープを背負ってわざと相手に攻めさせたり、あの手この手で状況を打破しようと試みた。しかしいったんディフェンスモードに入ってしまった選手を殻の中から引きずり出すのは、モンスターといえども困難な作業だった。
中盤以降、井上が一方的にリードしながら、チャンピオンの強打を浴び続けても倒れない挑戦者のタフネスぶりが目を引く。逆転のムードはない。それでも井上は「判定が頭をよぎった」。モンスターと無名の挑戦者の対決が判定までずれ込めば、それはもうニュースなのだ。
井上は「オレ、パンチないのかな」と集中力を欠きそうになりながらも、ジャブとボディ打ちで地道にディパエンにダメージを与えていった。8回、井上が前に出てコンビネーションを打ち込むと、左フックで挑戦者がようやくダウン。立ち上がったディパエンに井上が左フックを浴びせ、ディパエンがフラついたところで主審がストップを宣告。こうして試合は終わった。
期待と現実のギャップはあれど、内容的には圧勝
井上は試合後の勝利者インタビューで「戦前の予想、期待をはるかに下回る試合をしてしまいました」とコメントした。確かに期待と現実のギャップはあった。それでもなお、わずかな綻びを作りながら、それを修正しようと努め、内容的には圧勝してしまう姿に、あらためてモンスターのすごみを感じた。
ディフェンシブな相手をボディからていねいに攻め続け、荒っぽくなってしまいそうなボクシングを何とかコントロールし、最終的にしっかりTKO勝ちまでもっていった。苦戦ではまったくなかった。ここが井上とロペスの違いである。圧倒するのが早すぎると指摘したが、それは力の差のある相手を料理する“さじ加減”をほんの少し誤ったというだけの話だ。本当のトップ選手との対決であれば、スタートからガンガン攻めてもまったく問題ない。切り替えの早い井上である。試合後は自分に厳しいコメントを発したが、反省はしてもさほど気にしていないはずだ。
将来、井上の長いボクシング人生を振り返ったとき、ディパエン戦が大きく取り上げられることはないだろう。ただし、短いラウンドで試合を終わらせることの多いモンスターにとって、今回のような試合はキャリアを形成する上では大きな意味を持つに違いない。「ああ、ディパエン戦の経験が活きているんだな」。そう感じさせるような試合が、この先きっとあると思う。
次戦は来春、WBC王者であるドネアと3本のベルトをかけた統一戦が最有力だ。交渉がこじれるようなら、スーパーバンタム級への進出もあり得るという。今回の試合を通じて、またひと回り大きくなったであろうモンスターのこれからに期待したい。
Number Webより転用
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