上野由岐子号泣…ソフト日本、13年越し連覇! 魂の389球!東京でレガシー残した
- スポーツ
- 2021年7月28日
東京五輪第5日・ソフトボール 決勝、日本2-0米国(27日、横浜スタジアム)上野の389球で、13年越しの五輪連覇達成!! 決勝で日本が1次リーグで敗れた米国を2―0で下し、前回実施された北京大会以来13年ぶり2度目の金メダルを獲得した。先発の上野由岐子投手(39)=ビックカメラ高崎=が2安打無失点と好投。六回に先頭打者の出塁を許すと後藤希友(みう)投手(20)=トヨタ自動車=を投入してピンチを防ぎ、七回に上野が再登板して無失点リレーで逃げ切った。
東京五輪で投じた389球目。2点リードの七回2死、上野が米国のスポールディングを捕邪飛に打ち取った。13年越しの連覇達成。ナインが一斉にマウンドに駆け寄り、歓喜の輪を作る。その中央には、2008年北京五輪と同じ大黒柱の上野がいた。右手の人さし指を立てて「ナンバーワン」。「1」を作り、横浜の夜空に突きあげた。
「感無量です。このマウンドに立つために13年間、いろんな思いをしてきた。投げられなくなるまで絶対に投げてやるという思いでした」
恩師の宇津木麗華監督(58)の顔を見ると、13年間の思いが込み上げる。固く抱擁し、号泣した。
決勝の相手は北京五輪と同じ世界ランキング1位の米国(日本は世界2位)。26日の1次リーグ最終戦でも敗れ、五輪での対戦成績は試合前まで8戦2勝6敗と負け越していた宿敵だった。
先発した上野は六回、無死一塁とすると、今大会急成長の後藤にマウンドを託した。重圧のかかる場面。必死になって左腕を振る19歳下の後輩の姿はエースの心を再燃焼させた。「顔面蒼白で、いっぱいいっぱいで投げてくれた。自分がやってやると奮い立った」。金メダルを決める七回に、先発した選手が一度退いても再び出られる「リエントリー」制度で再登板。3人で抑え、北京五輪に続く優勝投手となり「皆さんの期待に応えられて本当にうれしく思います」。日焼けした顔に白い歯が光った。
21日に福島県営あづま球場で行われた初戦から85球、121球、94球、89球。東京五輪の合計4試合で投じた「上野の389球」。39歳が懸命に投げた一球に、次世代を担うソフトボーラーへの思いが込められた。北京五輪以降、実施競技から除外されたソフトボール。空白の13年間、上野は自身の投球に向き合うとともに、「伝道師」としての役割を全うした。「(五輪競技への)カムバックに貢献したい」。強い信念があったからだ。
島根、福島、群馬、香川…。全国各地のソフトボール教室に参加。魅力や楽しさを身をもって伝えた。14年に左膝のけがに苦しみ、「引退」の2文字が頭に浮かぶ中でも、その姿は子供たちの輪の中にあった。同年11月には、島根・雲南市で開催されたイベントに参戦。ソフトボール界のレジェンドを目の前にして目をキラキラ輝かせる子供たちに直接指導しながら語りかけた。
「目標を持って努力を続けてほしい」
当時小学生だった参加者の多くが、大学生や社会人になったいまでも競技を続けている。上野の軌跡は確かにソフトボールの輪を広げた。
準決勝からの2日間で3連投し「上野の413球」で伝説となった北京五輪の決勝(08年8月21日)から4723日。上野は26歳から39歳となり、投球スタイルも進化。120キロを超える直球でねじ伏せたかつてとは違い、投球術で打者を翻弄する。「努力を続けた」結果として偉業を成し遂げた。
ソフトボールは3年後のパリ五輪から除外される。「ソフトボールは次回からなくなってしまうけど、諦めることなく前に進んでいけたら」。上野が東京五輪で投じたソフトボール人生総決算の389球。その一球一球がレガシーとなり、ソフトボール界の未来を明るく照らす。(武田千怜)
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