「最終目標は金メダルではない」 羽生結弦の4回転アクセルへの渇望
- スポーツ
- 2021年4月8日
羽生結弦の自身8度目の世界選手権が終わった。世界王者の称号の奪還をかけた大会だったが、フリーで崩れた。ただ、羽生は後ろを向いてはいない。AERA 2021年4月12日号では、羽生結弦選手がいま最も叶えたい目標を語った。
* * *
「確実に、平昌五輪よりもヘルシンキの世界選手権よりも、絶対にうまくなっています、羽生結弦は。ノーミスできる確率とか、ゾーンに入るのを確実に狙えるようになってきているので。今は結果が出なくて苦しいけれど、自分がトレーニングしてきたことは間違っていなかったという感触がある演技でした」
コロナ禍のなか、ストックホルムで開催されたフィギュアスケートの世界選手権。そう語る羽生結弦(26)の胸には銅メダルが光っていた。それは期待された色とは違ったかもしれない。だからこそ、ファンを安心させるかのように、自身の手応えを何度も口にした。
すべてが異例のなかで始まった。3月20日夕、羽生がストックホルムへと出発する直前に、最大震度5強の地震が東北地方を襲った。羽田空港へ向かう新幹線が運転見合わせとなった。
「2月にも、そして来る直前にも地震があって、家の中もぐちゃぐちゃになりつらい気持ちがありました。新幹線が止まったりして、ちょっと大変でした」
■決めたのは出発3日前
先に到着した宇野昌磨(23)と鍵山優真(17)は、メインリンクで行われた初日練習に参加。羽生は夕方にサブリンクで調整した。リンクサイドには1年ぶりに会えたコーチのブライアン・オーサーとトレーシー・ウィルソンの姿があった。
「練習プランとしてはちょっとズレたかなと思いますが、氷ともしっかり対話できたと思いますし、良い感覚で練習を終われたかなと思います。最初はちょっと気合入りすぎで空回りみたいなものが一瞬ありましたが、今回はブライアンもトレーシーもいるのでしっかり話を聞きながら、自分のペースも守りながらやれたらと思います」
到着後3日間の公式練習は、ジワジワと調子が上がっていった。全日本選手権の演技同様に、キレ味のあるジャンプが光り、コーチたちと談笑する姿も。
「とにかく今自分ができることは、ショート、フリー、エキシビションの三つのプログラムを、この世の中に対して僕なりのメッセージのあるものにできたらいいなと思います。出発するまで、自分自身いろいろと思うところはあったんですけれど、滑るからには、やっぱり何かしら意味のあるものにしたいな、とは思います」
いろいろ思うところ……。それは、地震のことや、仙台で感染者が増えていること、そして挑戦している4回転アクセルのことだ、と羽生は吐露した。
「全日本選手権のあと、けっこう4回転アクセルに力を入れてやって、跳び切れなかったのを苦しく感じていました。4回転半がかなり大きな壁なので、どうやって回転数を増やしていくのか、高さや耐空時間を延ばしていくのかを考えて、ウェートトレーニングはしていませんが、ジャンプ練習で必要な筋肉がついて、体重も増えましたし、遠心力を取り込めるようになったと思います」
最も4回転半に近づきつつあったという羽生。しかし今回は準備が間に合わなかった。
「自分のなかでは、2月末までに降りられなければ世界選手権で入れられない、1本でも降りたら入れる、と決めていました。2月末までに降りられず、さらに3月に延長して死ぬ気でやって、他のジャンプをやらずにアクセルだけ2時間ぶっ続けという日もありました。入れないと決めたのは出発の3日前。自分が目標にしていたものに届かなかったので、つらい気持ちがありました」
■滑走直前に現れた
笑顔の裏にさまざまな思いを押し込めて、ショート当日を迎える。曲はロック「Let Me Entertain You」。4回転サルコー、トーループを成功させると、観客のいないアリーナに視線を送り、クールに演じ切った。構成や音楽解釈では10点満点を出したジャッジも。106.98点での首位発進を決めた。
「僕自身この曲を感じとりながら、曲が持つエナジーを、腕やスケートやジャンプや身体全体に行き渡らせて表現しています」
ところが2日後のフリーは、始まる前に異変があった。いつもは6分間練習のきっかり1時間前にウォーミングアップを始めるが、会場に現れない。そして滑走直前に、すでに練習着から衣装に着替えてやってきた。
「ちょっとしたトラブルが続いていました」
言い訳が嫌いな羽生は、多くを語らなかった。だが、選手にとって演技直前に「いつも通り」過ごすことは極めて重要になる。過ごし方が異なれば、本番での繊細な感覚にズレが生じる。ベテランの羽生は、どんなミスが生じかねないか、予想がついただろう。その不安と焦燥に堪え忍び、フリーが始まった。そして冒頭の4回転ループ、4回転サルコー、トリプルアクセルと続けてバランスを崩した。
「小さなほころびが、ミスに繋がっていきました。バランスが1個ずつ崩れていっていて、転倒にならないよう頑張れたとは思いますが、全然自分らしくないジャンプが続いたので本当に大変でした」
■4回転半の影響は否定
演技後半の4回転トーループ2本はきっちり成功。しかし最も得意とするトリプルアクセルでは、再びミス。演技後、物憂げな表情で小さくうなずいた。フリー182・20点、総合289.18点での3位だった。
「自分のなかでは原因はしっかりわかっていますし、大きなミスかというと、点数ほどの大きなミスではありません。自分のなかではやりきれたという感覚があります」
珍しくトリプルアクセルをミスしたことについて、4回転アクセルの練習の影響ではないかという質問は否定した。ただセオリーとしては、4回転の練習を始めると、同じ種類の3回転のコントロールが難しくなる。4回転アクセルを求めるからこそ、ネガティブな面を否定したのかもしれない。そうであれば、彼の4回転半への尋常ならぬ渇望が、今回の結果の見えないトリガーだったのだろう。初めて、北京五輪への思いも語った。
「4回転アクセルを目指す道の上に五輪があるなら、考えます。でも最終目標は五輪の金メダルではなく、あくまでも4回転アクセルを成功させることです」
■5本の4回転を成功
一方で、多くの期待を背負い3連覇を果たしたのは米国のネイサン・チェン(21)。ジャンプの技術、演技、スタミナすべての面でピークを迎えている。
しかしショートの冒頭、4回転ルッツで転倒。転倒したのは18年のGPファイナル以来というほど、珍しいミスだった。
「跳んだ瞬間にミスとわかりました。これは僕が進化するためのチャンスと受け止めています」
気持ちを持ち直したフリーは、非の打ち所のない演技だった。計5本の4回転を成功させ、朝の公式練習で唯一ミスしたトリプルアクセルも本番では降りた。複雑なフットワークを正確無比に操る一方で、感情的に演じた。演技後は息がまったく上がっておらず、320.88点で、圧巻の3連覇だった。
「今日は一瞬一瞬を抱きしめるような気持ちで、胸に刻みながら演じました。とても幸せです」
来季は新プログラムを作る可能性が高いと語ったチェン。北京五輪に向けて、最善の戦略を練ってくるだろう。
■緊張なしでのびのび
初出場で銀メダルの快挙を遂げたのは、鍵山だ。父でコーチの正和氏がリンクサイドに立った。ショートは飛距離のある4回転サルコーと4回転トーループを決め、完璧な演技。100.96点のスコアを見ると、ガッツポーズを繰り返した。
「緊張はせず、自由にのびのびと滑れました。初めての世界選手権で、初めて父と海外の試合に来られて、いい演技を見せられたので本当によかったです」
フリーでも17歳の強心臓はひるまなかった。3本の4回転を次々成功。演技後半にミスはあったものの、最後までスピード感の溢れる演技が光った。
「世界選手権の最終グループなんかに自分がいていいんだろうかと最初は思いました。でも表彰台を狙って練習してきたので、ここに来たからにはやらなきゃと思い、集中できました」
総合得点は291.77点。メダル確定に、跳びはねた。
そして平昌五輪銀メダリストの宇野は、ショートは6位発進だが、フリーでは粘り、総合277.44点で4位だった。
「今回の演技は、ここに来てからの練習状態からできるマックスでした。耐えることができたのはいい点ですが、スイスで練習していたようなジャンプに調整していくのが今後の課題です」
東日本大震災から10年。羽生がエキシビションに選んだのは、復興のテーマソング「花は咲く」。柔らかなオレンジ色の衣装で、人々の心に花を咲かせる精霊のように舞った。周りの人に何を届けられるかを考え続けたシーズン。4回転半という夢をつないで、会場を後にした。(ライター・野口美恵)
※AERA 2021年4月12日号
AERAより転用
コメントする