閉店後も20年家賃払い続け… サイゼリヤ1号店を守り続ける地元の人たちの思い
- 政治・経済
- 2021年3月11日
国内外1500を超える店舗数を誇り、昨年は“1円値上げ”等で話題を呼んだサイゼリヤ。始まりは、1968年に千葉県の八幡で開いた小さな洋食店だった。1度は客の喧嘩が原因で火事が起こり全焼したものの、休業後、イタリア料理専門店として再開。現在のサイゼリヤの原点である。その後2000年に当1号店は閉店したが、地元の人たちが保存会を結成し、20年以上経った今も記念館として残されている。サイゼリヤ創設者の正垣泰彦氏は1号店保存に反対したというが、地元の人たちが長年守り続ける1号店への思いとは。
■サイゼ創設者の正垣氏は「創業当時から経営理念やその他の考え方が全くぶれていない」
――改めて、サイゼリヤ1号店を保存しようと思われた理由を教えてください。
【サイゼリヤ1号店教育記念館保存会・大山達雄氏/以下同】1987年頃、当時サイゼリヤの社長だった正垣泰彦氏は経営の勉強のため、千葉県中小企業家同友会の市川浦安支部に入会しました。しかし、正垣氏と他の会員との間で経営に対する考え方がまるで違いぶつかる事が多かったんです。そのうちに正垣氏のいう事が客観的に正しいと感じた市川浦安支部のメンバーたちは、正垣氏が支部長となりその理論を教えてほしいと言う事になりました。
そして支部長になった正垣氏が、経営理論を毎月例会と早朝セミナーで教えるようになると、その内容や理念の素晴らしさとわかりやすさから、会員数が7~8倍になったんです。理論通りの経営で計画通りに店数を増やしていくサイゼリヤの発展を目の当たりにして、皆わが社もと夢中になりました。
正垣氏は「成長発展する会社はその姿をどんどん変えていくから、1号店などいつの間にか消えていくもので残すものではない」と言っていたのですが、1号店最後の日にお店に集まった正垣氏の生徒である各社の社長たちが、「最後の晩餐で何とか残せないものだろうか」と言う事になり、宇田川正和現館長を代表として皆でお金を出し合って保存会が出来て、社長たちが真剣に学ぶ場としてサイゼリヤ記念館としました。
――地元の皆さんにとって、営業時の1号店はどのような場所でしたか。 安くて美味しくイタ飯を食べられるお店として大人気で、2階に上がる階段はもちろん外まで列がいつもできていました。我々は勉強会の後、ワインのフルコースを楽しみながら、復習やメモしきれなかったところの補完などを行い、出てくる料理の安さとワインの調和を元にわが社の商品の見直し、作業システムの見直しなどを学んだんです。怠けている所をお互いに指摘し、叱りあった場でもあります。
――1号店を保存することを提案した際、正垣氏の反応はいかがでしたか。 そんなのやめろとおっしゃいましたが、強い反対はされませんでした。今もやめろとおっしゃいますが(笑)、趣旨をご理解いただきご協力も頂いています。 ――1号店閉店後も全国的な人気をますます広げていったサイゼリヤに対して、どのような思いがありますか。 正垣氏と34年前に初めてお会いした時から、彼の経営理念やその他の考え方が一切変わっておらず、全くぶれていないんです。それでいて、システムや手法はどんどん発展進化していて。私たちは30年以上前にサイゼリヤがやっていた事を、今必死にやっている感じですね。
■「教育は最高の福利厚生」正垣氏のポリシーが地元の経営者たちに伝染した1号店
――1号店はどのようなメンバーで保存・管理を行っているのでしょうか。
(株)エムワン創業会長の宇田川正和氏を保存会会長兼サイゼリヤ記念館館長として、サイゼリヤ現会長・正垣泰彦氏に永年経営理論を教えて頂いた社長たちが費用を負担しながら運営管理をしています。
――具体的にはどのような運営管理を行っていますか。 内装、厨房などは手を加えず閉店当時のままで、トイレだけウォシュレットを付けました。経営理論を学ぶためにサイゼリヤがどのように発展してきたかを年表や写真、当時のメニューや経営に関するその他の資料などを集め整理して展示しています。
――現在はコロナ禍で閉鎖中とのことですが、1号店教育記念館ではどのようなことが楽しめるのでしょうか。
土日祝日などに一般の方にも開放しています。40年以上前からのお客様たちは懐かしそうに写真やメニューを見ながら、良く通った若き日の事を話していかれますね。詳しいお話に興味がある方たちには良い会社の選び方や、イタリヤ料理のフルコースの組み立て方、なぜ白ワインから呑むのか、白ワインと赤ワインの作用機能の違いなど科学的な考察もできる場になっています。 ――1号店を記念館として保存して良かったこと、大変だったことをそれぞれ教えてください。 日々の経営に追われ正しい経営を忘れてしまう中で、サイゼリヤ1号店は、何のため、誰の為に会社を経営するのかを思い出させてくれます。かつては分散していた資料が今はまとまって、より良い場になっていると感じます。法人資産の蓄積、人材の育成、時流に乗った商品開発、ムリムダムラを無くして利益を確保するシステム作りなどの資料がそろっていて、困った時にいつでも学び直せる場所です。皆の協力で大変だった事は特にないですね。 ――正垣氏は今でも親交がありますか。 今でも年に2回ほど、朝から夜までのセミナーを開いてくださっています。さらに、年2回約90分のセミナーを開催、その後一緒にワインの夕べを楽しみ、個々の経営の問題点にも回答を下さいます。
――正垣氏との印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
何か最悪な事が起こったときに、いつも「今が最高の変化するチャンスだ」と言い出す事です。問題が起きるたびに「最高のチャンスだ、逃げるな」と言います。「会社は一度潰れたほうが良い」とも言います。「もし社員教育をきちんとしていれば、社員の能力がどこよりも高いはずで、倒産したら他社から今までより高い給料でうちに来てくれと言われる、人狩場になる。そうでなくてはならない」「教育は最高の福利厚生だ。それで優秀な人が入ってくる」。これが個々の経営質の質問に対する回答です。大勢の前では原理原則を話し、1対1ではその人にピッタリマッチした実践的な回答をいつも出していらっしゃる印象です。 たとえば、「うちはデザインなどセンスのある人を雇わなければならないので難しい」という質問を受けた際には、「味とかセンスとかを科学的数値で表せなければ、成長発展はできない。この事をStandardization標準化と言う、センスを高めるには6つの能力のうちの知識と、経験による技能を高める事」と明快に回答していました。印象深い言葉やエピソードは沢山ありますね。
――そのお考えを創業当時からお持ちだったとは、すごいですね。今後、1号店をいつまで守っていきたいですか。
次々とバトンタッチして、ずーっと守っていきたいですね。コロナ禍が収束したらまた皆で集い、大いに自社発展の大きな夢を語り合いたいです。また、若い経営者に人類の経験法測を伝えて、社会貢献性の高い企業がどんどん育つ場所にしていけたらうれしいですね。
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