カーリング男子、平昌五輪代表の“その後” 無名選手たちとゼロからの再始動…もがいた末につかんだ“一筋の光”
- スポーツ
- 2021年2月18日
2018年の平昌オリンピック、日本男子として20年ぶりの出場をはたした男子カーリングチームを覚えているだろうか?
カーリングにロマンを見出し、いくつもの苦難を乗り越えていったSC軽井沢クラブ。
あれから3年が経ち、メンバーそれぞれが自らの可能性を追い求めた結果、彼らはまったく別のチームへと変貌していた。
チームにただひとり残留した選手のもとに集まった、エリートとは程遠いメンバー。そして模索の末に見出した一筋の光とは…。
1月24(日)深夜放送のテレビ朝日のスポーツ情報番組『GET SPORTS』では、男子カーリング・SC軽井沢クラブの新たな“冒険”を追った。
◆このチームをなくすわけにはいかない
2005年、長野県軽井沢町で結成されたSC軽井沢クラブ。
中心メンバーは、両角友佑・公佑兄弟、清水徹郎、山口剛史。
結成から10年あまりを経た2016年には、世界選手権でメダル争いを演じ、4位入賞という快挙を成し遂げる。女子ばかりが注目されがちだった日本カーリング界において、確かな存在感を発揮してみせた。
その勢いを維持したまま、2018年には自国開催である長野大会以来のオリンピック出場をはたし、日本男子カーリング界の歴史を切り開いた。
4年後の北京オリンピックではメダルを…。誰もがそう期待していたが、平昌での戦いから半年後、大きな変化が訪れる。
まず、チームから清水徹郎が離脱し、コンサドーレ札幌へと移籍。さらに、チームの絶対的司令塔だった両角友佑が、弟・公佑とともにTM軽井沢という新チームを結成。それぞれが、自分たちの新たな可能性を求めたうえでの決断だった。
ひとりチームに残されたのは、山口剛史。
これからどうするべきか途方に暮れ、ひとりで練習に励んでいた彼は、ある結論に達する。
「お世話になってきた軽井沢やSC軽井沢クラブにしっかりと恩返しをして、さらには結果を出したくて、ここでつづけようと思いました」(山口)
カヌー選手になるという夢を諦め、カーリングに専念。15年前に北海道から軽井沢へ居を移し、SC軽井沢クラブに加入した山口は、このチームで飛躍的な成長を遂げた。
だからこそ、チームをなくすわけにはいかない。
そんな思いを胸に、この地であらたなSC軽井沢クラブを作り上げることを決意した。
◆新生SC軽井沢クラブ誕生。そして突き当たった壁
新メンバーとして声をかけたのは、社会人やジュニア選手たち。
山口とは10歳以上も年下の金井大成(21)と栁澤李空(19)。オリンピック選手になる夢の実現のため、中学教師を辞めた小泉聡(33)。そして、公務員をしながらカーリングをつづけていた大野福公(35歳)だ。
お世辞にも経験豊富とはいえないメンバーとの再スタートである。そのなかで、ただひとつだけ彼らには共通点があった。
「カーリングの上手さも大事な要素のひとつであると思ったんですけども、それよりは『絶対オリンピック行きたい』とか、気持ちが強い人を優先したい。それが自分のなかの第一条件でした」(山口)
実績や技術ではない。大切にしたのは「カーリングへの熱い想い」。こうして2018年秋、新生SC軽井沢クラブは船出を切った。
しかし結成直後から、大きな壁にぶつかることとなる。元々セカンドとして力強いスイープを武器にチームを支えてきた山口が、これまでほとんど経験のない司令塔・スキップを担うことになったのだ。
慣れないポジションに悪戦苦闘する日々がつづき、「経験豊富な自分がチームを引っ張らねば」という思いが焦りを生んだ。
「試合中に作戦を考えるのもメチャクチャ時間かかったんですよ。周りから見れば本当に頼りないスキップだと思う」(山口)
そんな彼の苦悩が表れていたのが、結成当初に毎日つけていたノート。
そこには、「スキップ像・キャプテン像」「柔軟」「自分をもっている」「自分に自信を」「みんなをまきこめる力と行動」など、自問する文字が並んでいた。
さらには、海外の強豪チームのスキップが試合中にどんな行動をとっているか、つぶさに観察し、「アメリカのスキップ 1投目 2対2で話す」「アメリカ4人で話し合い、カナダは3人で話し合い」…気づいたことは何でもノートに書いた。
すると、そんな山口を支えるように、チームメイトが歩み寄ってくるようになる。試合中、積極的に山口に声をかけるようになったのだ。
「いろいろ迷いながらやっているなというのは一緒に組んでいてすごく思っていました。どうやったらサポートできるかなといつも考えながらやっています」(大野)
山口はチームメイトのサポートに対し、「優柔不断な作戦になったりしていたのを見かねて、いろいろ言ってくれたと思います」と感謝。「自分の脳だけだと足らないっていうのもあるんですけど(笑)。だからこそみんなの力を使ったほうが今のチームにはすごくいいなと思います」と語った。
戦っているのは自分ひとりではない、みんなの力を結集して…そんな想いは、チームの練習スタイルにも反映されていった。
◆キーワードは「全員で」
一般的に男子カーリングでは、週の半分以上を個人練習に充てるチームが多いなか、SC軽井沢クラブでは全体練習に重きを置く異色のスタイルをとっている。
「角度はメッチャいいよ!もうちょい!」
「これは縦に掃くよ!…いいと思う!」
「曲げるんだったら角度付けたほうがいいでしょ」
練習の間ずっと、全員から互いに感じた言葉がポンポンと飛び交う。
こうした全体練習は氷の上だけに留まらず、空いた車庫を活用した手作りのジムでは、体力づくりも行っていた。
場所はどこであれ、大切なのは全員で取り組むこと。
さらに、練習前後には徹底したミーティングも実施し、年齢やポジションも異なる選手たちが、真正面から意見をぶつけ合う。
発展途上な選手たちだからこそ、全員で力を合わせて補い合う。それが、新生SC軽井沢クラブのスタイルだ。
◆そして、見出した活路
そんな全員で力を合わせる姿勢が、ひとつの活路を見出していく。
「一発でドカンといくタイプじゃないチームだと思うので。(持ち味は)ドローショットですね」(山口)
ドローショットとは、相手のストーンを弾き出すのではなく、自分たちのストーンを置きたい場所に止めるという、カーリングにおいて基本中の基本ともいうべきショット。数センチ単位の正確さが求められる繊細なものでもある。
このショットの成功を左右するのは…。
「25秒くらい。25秒とか30秒。投げはじめてから止まるまで、そのぐらいの時間があるんですけども、そこでの声のかけ方や表現の仕方(が大事)」(山口)
大切なのはストーンを投げる前ではなく、投げてからの「会話」だという。
「ちょっと曲がるわ。あ、曲がってないか」
「もうちょっと曲げながら行こうよ!」
「もうちょい!センター行きたい」
わずか20~30秒ほどの間に、そのときの状況を瞬時に伝え合う。
さらに、このドローショットの完成に必要なのがスイープの力。放たれたストーンの軌道を、ブラシを掃く強さや場所の調整で変化させる技術である。
もともとこれを得意としてきたのが山口だ。
「スイーパーが調整してくれるから、狙ったところで止まる。投げ手はこのへんという感じにしか投げていないので、スイーパーはとても重要です」(山口)
スイーパーとしての経験が豊富な山口だからこそ、チームメイトへ的確な指導も行える。
こうして、全員で力を合わせ作り上げたドローショットが、確かな手応えをつかんだ試合があった。
◆つかみ取った、確かな手応え
2020年11月、国内で行われた強化試合。彼らにとって久しぶりの実戦の舞台である。
相手は、TM軽井沢。かつてのチームメイト・両角兄弟を擁するチームだ。
SC軽井沢が3点リードで迎えた第5エンド。互いに7投ずつを終え、ハウスのなかには、SC軽井沢クラブの黄色ストーンが3つ。
先攻の軽井沢、ラストショット。ここでの狙いは、中央へのドローショット。何とかして敵の赤ストーンの侵入を防ぎたい。
スキップ・山口からストーンが放たれると、まずハウスにいる栁澤が状況を伝える。「曲げたい、曲げたい」と、予想よりもストーンが曲がらない状況を発信。
これを聞いた山口は「曲げていっていいよ!」
この指示を聞いたスイーパーは、即座に2人がかりで必死にスイープ。すると、軌道は急変化し、狙い通り中央へのドローショットに成功した。
対するTM軽井沢。先ほどのドローショットが邪魔になり、ハウスに入れるためには左から回り込まねばならない。
この難しいショットを投じるのは、かつてのチームメイト・両角友佑。だが、わずかに決め切ることができず、ここでSC軽井沢クラブが2点を追加。
その結果、全員で作り上げたこのドローショットが功を奏し、見事勝利を手にした。彼らが模索の末に、見出したひとつの光が輝きを放った瞬間だった。
「成長率ハンパないっすね。自分でいうのもなんですけど。僕が支配するチームじゃなくて、みんなでゲームを作っていきたいなと思います」(山口)
互いを補い合い、一つひとつステップを刻みつづけている新生SC軽井沢クラブ。彼らの“冒険”は、まだはじまったばかりだ。
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