内海桂子師匠、97歳大往生 夫らに見送られ旅立ち…芸歴81年「桂子・好江」で女流漫才の草分け
- 政治・経済
- 2020年8月28日
内海桂子さん
女流漫才コンビ「桂子・好江」で人気を博し、アラ百の現役最年長芸人として活躍した漫才協会名誉会長の内海桂子(うつみ・けいこ、本名安藤良子=あんどう・よしこ)さんが22日午後11時39分、都内の病院で多臓器不全のため死去した。97歳。東京都出身。近親者のみの密葬が27日、東京・町屋斎場で営まれ、24歳年下の夫でマネジャーの成田常也さん(73)らに見送られ旅立った。
「お桂ちゃん!出番だよ!」 出棺の時、長く親しまれた愛称の掛け声が斎場に響き、参列した約20人の近親者は涙を拭った。16歳で初舞台を踏み、芸歴81年。日本の演芸界を代表する芸人にふさわしく、棺には漫才で初めて芸術選奨文部大臣賞を受賞し、1983年2月のホームパーティーで着た黒地の着物が入れられた。「師匠らしく、キリッとした顔。ほれ直しました」。夫の成田さんは目を赤くしながら手を合わせた。
師匠の容体が急変したのは22日夜。別の病院に入院していた成田さんの元へ連絡が入ったが、最期には間に合わなかった。だが、この日は“最愛の相方”の旅立ちの見送りが奇跡的に実現した。
師匠は、昨夏に軽い脳出血を発症。体に気を使いながら今年1月中旬まで舞台に上がっていたが、1月末から心臓の機能不全で入院。2月には誤嚥(ごえん)性肺炎も発症し、点滴治療を受けた。一時期はおかゆを食べるまでに回復したが、新型コロナウイルス感染拡大予防のため、3月末に病院が見舞い禁止となり、親族は心配を募らせていた。
そんなさなかの4月15日、成田さんが脳出血で茨城県のゴルフ場で倒れて緊急搬送され、約1カ月ほど意識が混濁。仕事関係者のみならず、近親者も行方が分からず連絡がつかない事態が続いた。49万人ものフォロワーがいる師匠のツイッターは成田さんが師匠の言葉を聞いて、つぶやきを投稿していたため4月14日でストップ。「お二人とも大丈夫ですか?」と心配する声が相次いでいた。
成田さんは今月に入り奇跡的に回復。9月半ばに退院が予定されるほどになり、さらに今月23日に早まった。そのため密葬の準備を行い、約10年前のお気に入りのプライベートショットを遺影に選ぶこともできた。
現役最年長芸人として最期まで存在感を放った師匠。99年には24歳の年の差婚で世間の注目を集めた。師匠はシングルマザーとして2人の子供がいたものの初婚で77歳、成田さんは53歳だった。10年間の同居も含め最期まで愛の形を示す一方で、いくつもの苦難を乗り越えながら本業でも第一線を走りきった。
「桂子・好江」で女流漫才師の草分け的存在として人気を博し、演芸界に足跡を残した。94年に長男が食道がんで52歳で亡くなり、3年後の97年には相方の内海好江さんが61歳で胃がんのため他界。その後はピン芸人として活躍した。近年ではツイッターで歴史の生き証人として若者にも言葉を届けた功績は大きい。5、6年前には孫に当たる長男の息子と養子縁組し静かに終活も進めていた。この日はその息子が喪主を務めた。成田さんはその姿を見つめながら「師匠が私の回復を待ってくれていたのでしょう。見送りができてよかった」と声を詰まらせた。
◆内海 桂子(うつみ・けいこ)本名安藤良子。1922年(大11)9月12日生まれ、東京都出身。38年に漫才の初舞台を踏む。50年に漫才コンビ「内海桂子・好江」を結成し人気に。98年には漫才協団(後の漫才協会)の5代目会長に就任。89年に紫綬褒章、95年に勲四等宝冠章を受章した。著書に「機嫌よく暮らす―桂子師匠90歳、元気の秘密」など。
一言コメント
師匠中の師匠だった。
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