渡哲也さん、10日に肺炎で死去していた
- 政治・経済
- 2020年8月15日
渡哲也さん(2015年撮影)
「大都会」「西部警察」など数々のドラマや映画で存在感を示した俳優、渡哲也さんが10日に肺炎で死去していたことが14日、分かった。78歳だった。この日、近親者のみで密葬が営まれた。
複数の関係者によると、入院先の東京都内の病院で親族に看取られ、静かに息を引き取ったという。2015年6月に心筋梗塞の手術を受けて以降、入退院を繰り返し、ここ数年は呼吸器疾患などで自宅療養を続けていた。
今年6月、石原プロモーション創業者でもある俳優、石原裕次郎さんの生前の映像と共演した宝酒造CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」のナレーション録りを自宅で行ったのが最後の仕事だった。
7月27日に完成作を見た際には何度もうなずき、書面で「最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります」とコメントを寄せた。
その10日前には、渡さんが2代目社長を務め、現在相談役を務める石原プロが来年1月に解散することを発表。渡さんは周囲に「時代の流れで新しい人たちが出てくる。我々は一歩下がって生きていかないと」と話していた。裕次郎さんが亡くなる直前、渡さんに託した「石原プロを畳んでくれ」という遺言を果たして天国へ旅立った。
渡さんは1941年に島根・安来市に生まれ、兵庫・淡路島で育った。青学大在学中の64年、浅丘ルリ子(80)が主演した映画「執炎」の相手役に実弟、渡瀬恒彦さん(のちに俳優、2017年死去、享年72)がこっそり応募。それがきっかけで日活にスカウトされ、65年に映画「あばれ騎士道」の主演で俳優としての一歩を踏み出した。また、同年に「純愛のブルース」で歌手デビューも飾った。
裕次郎さんとはデビュー前、日活の食堂で初対面した際に励ましの言葉をもらい感激。給料の交渉までしてくれたことを知って、さらに心酔し、背中を追い続けた。
日活がロマンポルノ路線へ転換した71年には、裕次郎さんが設立した石原プロへ迷うことなく入社。同プロ制作の日本テレビ系「大都会」シリーズ、テレビ朝日系「西部警察」では角刈りサングラスの大門圭介部長刑事を演じ、巨悪との銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンの数々は国民をくぎ付けにした。
歌手としても、73年に「くちなしの花」が150万枚の大ヒットを記録し、74年と93年のNHK紅白歌合戦に出場して同曲を歌った。
一方で病に悩まされ続けた。74年に胸膜炎を患い、主演を射止めたNHK大河ドラマ「勝海舟」を途中降板。91年には直腸がん手術でオストメイト(人工肛門使用者)になったことを告白した。
天国では、石原軍団の看板を下ろして安堵した渡さんと裕次郎さんが酒を酌み交わして思い出話に花を咲かせているに違いない。
一言コメント
石原軍団になくてはならない人だった。
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