変わる法廷 裁判員制度10年 崩れた供述依存 コールドケース、物証で光
- 政治・経済
- 2019年5月21日
「罪を償いたい」。昨年11月、警視庁の事情聴取を受けていた男(43)は「自分がやった」と暴行を認め、わずか1歳で命を終えた女児への償いを口にした。
平成19年3月、1人の女児が硬膜下血腫などによる気管支肺炎で死亡した。東京都新宿区のマンションで頭蓋骨(ずがいこつ)骨折を負い、病院に搬送されていた。当初、119番通報した義父の男は「目を離した隙にこたつから落ちた」と説明したが、警視庁は虐待を疑った。男が暴行を認めたのは3回目の聴取。女児の死亡から10年以上が経過していた。
「コールドケース」(未解決事件)となっていた女児死亡の経緯に光を当てたのは、徹底的な証拠の洗い直しだった。
未解決事件などを扱う捜査1課の特命捜査対策室が昨年3月から捜査に入り、死亡当時に撮影していたコンピューター断層撮影装置(CT)画像を複数枚組み合わせ、女児の頭部の骨折部位を3Dで再現。「頭蓋骨の複数の亀裂は、事故ではあり得ない」。画像を見た医師ら11人の意見は一致した。また、壁や床に同じ材質を使って現場マンションを再現。体に比べて頭が重い女児の体格を忠実に再現した人形を作り、こたつから落ちただけではできない損傷だと裏付けた。
「イライラして、こたつの上にいた娘を手で払った」。男は傷害致死容疑で逮捕された後、黙秘に転じた。同罪で起訴され、今後、裁判員裁判で裁かれる。視覚的な客観証拠にこだわった緻密な捜査は、裁判員裁判に向けた「分かりやすい立証」を見据えたものだった。
警視庁の捜査幹部は「供述だけの勝負は相手にされない印象がある」と語る。かつて自白調書が「証拠の王様」ともいわれ、ともすれば供述依存に傾いた捜査、そして裁判のありようは大きく変わった。
■分かりやすい立証
「漫画喫茶で子供を産み、(赤ちゃんの)声が出たので殺した」
昨年5月、生後間もない女児の遺体が東京都新宿区歌舞伎町のコインロッカーから見つかり、死体遺棄容疑で逮捕された母親の女(26)=殺人容疑で再逮捕=は、警視庁の調べにこう供述した。出産直後の女児の首をタオルで絞めたというのだ。
タオルは女児の遺体とともにコインロッカーの中から見つかっていた。警視庁は、殺害方法が女の供述通りであることを立証するため、タオルの結び目を3D画像で再現した。
「これで『産んだ直後に手前側で結び目を作るように首を絞めた』という容疑者の話と一致することが分かる」。捜査関係者は、3D画像の狙いを解説する。
裁判員裁判では、裁判員が裁判官とともに法廷に出された全ての証拠を見て、「被告が有罪かどうか」「有罪の場合はどのような刑にするか」を判断する。それだけに有罪立証を目指す検察官にとって、裁判員に分かりやすい立証をすることは最重要課題だ。
法廷立証は検察官が担うとはいえ、警察の捜査にも裁判員裁判を意識した資料作りが浸透している。
捜査幹部は言う。「専門用語はできるだけ避けて、裁判に慣れていない人にも事件の性質や証拠の価値をつかみやすくしようとしてきた」
かつては検察官が供述調書を延々と読み上げる光景が定着していた日本の刑事裁判は、裁判員の参加によって劇的な変化を遂げた。「見て、聞いて、分かる」。制度が目指した新たな刑事裁判の理想像はこの言葉に凝縮されている。
密室の取調室での自白ではなく、客観証拠で事実認定を行う。被告や関係者の言い分は調書ではなく法廷で聞き取る-。大きくかじを切った裁判の形は、裁判員制度の施行から10年を経て定着しつつある。
■進む取り調べの可視化
新たに登場した捜査手法もある。取り調べの録音・録画(可視化)だ。
検察官「どこで殺した」
男「現場で」
検察官「違うんじゃないか」
男「現場で間違いない」
平成17年に栃木県の小1女児を殺害したとして、殺人罪などに問われた男(37)の裁判員裁判。宇都宮地裁の法廷では、取調室で繰り広げられた検察官と男の問答が再生された。女児を「どうやって刺した」と問われた男が「抱えて刺した」と、左手を上げたまま右手で刺す動作をする様子も収められていた。
可視化導入のきっかけは「検察史上最悪」ともいわれた不祥事だった。厚生労働省の元局長が無罪になった郵便不正事件(21年)の捜査過程で、押収品のフロッピーディスクの日付のデータを書き換えたとして大阪地検特捜部の元主任検事が22年秋、証拠隠滅容疑で逮捕、起訴された押収資料改竄(かいざん)事件。これを受け捜査・公判改革の機運が高まったことを機に始まった。今年6月から裁判員裁判対象事件と検察の独自事件で全過程可視化が義務づけられるが、先行して検察は18年、警察は20年から対象事件の一部で開始している。
密室の取調室で検察官などによる誘導や脅迫はなかったのか。これまでは法廷での水掛け論になりがちだった論点を、客観的に判断する材料になっている。
■「黙秘戦術」広がる
客観的な証拠が裁判で活用されるのとは対照的に、捜査段階の供述調書が読み上げられる機会は激減している。
裁判員裁判では、法廷で直接、被告の説明を聞く被告人質問をまず行い、特に必要な場合を除いては供述調書を採用しない「被告人質問先行方式」が定着した。さらに可視化が拡大したことで、捜査段階で不利益な供述をしてしまわないよう、弁護士が容疑者に「黙秘」を指示する弁護戦術も広がりつつある。
こうした状況を受け、警察当局は逮捕直後に逮捕容疑への認否だけでなく、犯行に至る全体像について網羅的に供述を聴取し、録音・録画するなどの対策を取る。
警察幹部は「弁護士のアドバイスで、容疑者が黙秘に転じるまでの時間との勝負だ。客観証拠がある事件ばかりではないから」と打ち明けた。
■調書より「人」を見る
ただ、最高裁が公表した裁判員制度10年の総括報告書によると、調書など書面の取り調べ時間が減り、証人尋問にかける時間が増えるなど、「書面から生の証言へ」の傾向は顕著だ。
29年に東京地裁で行われた強盗致傷事件の裁判員裁判では、被告の男の共犯者とされる3人の証人尋問を実施し、うち1人は「自分の不利益になるのでしゃべりません」と質問に一切答えなかった。
裁判員を務めたパート、山下美紀さん(54)は「被告と共犯者たちの主張が食い違う中で、誰が本当のことを言っているのか見極めるのは難しかった」と振り返った上で、証人尋問を試みたことを評価する。「法廷で話すかどうかは別にしても、本人と対峙(たいじ)することが大切だと感じた。それぞれの証人を直接見ることで、見た目や語り口から人物像のイメージを持つことができた」
最高裁の総括報告書は裁判員制度について「理想的な営みを実現していくために、まだ改善すべき点がある」とし、こう締めくくっている。「10周年という節目は、刑事司法制度の変革という大きなうねりの中の一つの通過点にすぎない」
国民が刑事裁判に参加する裁判員制度は21日、施行から10年となる。「供述から客観証拠へ」「書面から生の証言へ」。刑事司法に地殻変動をもたらした制度を検証する。
一言コメント
裁判も進化しなければならない。
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