「全部やり直し」 すかいらーくの料理に赤点宣告 暴走族のたまり場になり苦闘
- 企業・経済
- 2018年2月17日
すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第8回はすかいらーく創業初期の苦労話を語ります。
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非常勤ですかいらーくのメニュー作りを助けてくれることになった三井倶楽部の料理長、番場善勝さんの指導は厳しかった。当時、すかいらーくの料理は国分寺店(東京都国分寺市)がセントラルキッチン(CK)の役割を果たしていた。
番場さんにCKを見てもらうと「こんなことをやってうまくいくわけがないだろう。全部やり直し」と「赤点宣告」を受けた。ブラウンソース、ホワイトソース、トマトソース……。既存レシピはすべて否定された。
開業当初のすかいらーくはハンバーグとピザはまずまずだった。カラー写真付きのメニューを考案し、当時としては画期的だったと思う。
だが他のメニューはいまひとつ。番場さんの教えで基本をやり直した。ルーはバターと小麦粉をしっかりいためて作る。コーンクリームスープは裏ごししたコーンを入れる。素直に学ぶと味のレベルが格段に向上し、新メニューも相次いで出てきた。
メニュー作りもさることながら、開業当初は採算面に苦しんだ。例えば1号店の国立店は黒字の目安となる1日当たりの売上高が17万3000~17万5000円だった。土地・建物の購入に伴う借入金が、周囲から反対されるほど大きかったからだ。
次兄の茅野亮(たすく)がオープン前、チェーン経営の普及を目的とする「ペガサスクラブ」に所属する外食の社長に相談したことがあった。その一人が吉野家の創業者の松田瑞穂さんだった。
松田さんは「今の立地ではいいところ3万~5万円ぐらいしか売れない」という意見だった。松田さんだけでなく、それが業界の常識でもあった。
もちろん資産を購入してしまった以上、やめるわけにはいかない。まず開店時間を午前11時から同10時に前倒しし、閉店時間も3時間延ばした。郊外型レストランはまだ珍しく、店内客が少ないと通行人も入りづらい。そこでことぶき食品の従業員を「サクラ」として連れて行き、にぎわいを演出するなど涙ぐましい努力を続けた。
自ら厨房にも入ったし、仕入れも担当するので寝ない日もしょっちゅう。それだけではない。例えば店舗裏のゴミ置き場は自分でブロックを積んで作ったし、3号店となる小金井店の排水溝も自ら掘ったぐらいだ。
苦心しながらも多摩地区にすかいらーくは広がっていった。モータリゼーションが後押ししてくれたわけだが、そのことで面倒なことも起きた。三鷹店が地元暴走族のたまり場になってしまったのだ。土曜日の深夜になると、100人近くが押しかける。店長も手を焼いて、私に来てくれと言う。
店に入ろうとする車がぶつけられたり、脅されたりするので、他の客は全く寄りつかなくなる。そのうち、暴走族のリーダーが調布市の八百屋の息子だということが分かった。
店を壊すなど器物損壊はしないが、不安が残る。そこで今では信じられないことをした。弟の紀夫が族のリーダーの家へ出向き、来店の条件について話し合いの場を持ったのだ。
一言コメント
すかいらーくに行ってみようかな~。
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