九州で活動した社会運動家・西田信春 福岡の拷問死に光
- 政治・経済
- 2017年3月13日
「蟹工船」で知られる作家小林多喜二が特別高等警察(特高)の拷問を受けて死ぬ9日前、福岡で同じように特高の拷問で死亡した多喜二と同世代の若い社会運動家がいる。治安維持法による弾圧で拘束された北海道新十津川町出身の西田信春(1903~33)。命日には出身地で碑前祭が執り行われ、出席者たちは平和への願いを新たにした。
西田は東京大在学中に労働運動に傾注。27年の卒業後、日本共産党に入党し、九州の組織強化のため32年に福岡へ。日本は戦争への道をひた走り、時代が息苦しさを増していた。25年には市民の思想信条に目を光らせる治安維持法が制定され、弾圧が激しくなった。
同法の被害者を40年以上研究してきた北海道の元高校教員の宮田汎(ひろし)さん(79)によると、西田は共産党九州地方委員長を務めた。中国から帰還した兵士に戦争の体験談を語らせる集会を企画するなど、反戦を訴えていた。「共産党や労組を九州で再興しようとした西田は特に狙われた。だが、西田は戦争を止めたかった一市民にすぎない」
33年2月10日、西田は福岡県久留米市の西鉄久留米駅前で特高に逮捕されて福岡署(現福岡中央署)に連行され、拷問を受けて11日早朝に死亡したとされる。当時30歳。この日、九州では約500人の党員が摘発されたという。
西田の死が明らかになったのは戦後だ。仲間らの調査で西田とみられる遺体の鑑定書が九州大で見つかり、警察関係者から拷問の証言も出た。
拷問が明らかになると、後世に伝える動きが広がった。1990年、出身地の北海道新十津川町に西田の顕彰碑が建てられ、毎年命日の2月11日に碑前祭が開かれている。今年は市民約40人が参加した。西田の遺骨が葬られているとされる福岡市立三日月山霊園(同市東区)の無縁墓地でも、没後80年の2013年に記念集会が開かれた。
西田に詳しい元中学校教員の堺弘毅さん(84)=福岡県粕屋町=は「民主主義が危うい時代だからこそ、西田について多くの人に語り継がなければならない」と話している。
=2017/03/13付 西日本新聞夕刊=
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